昭和49年3月9日 朝の御理解
中村良一
御理解 第62節
「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。」
人を助けると言うことは、どういう事かと。これは、人を、手を貸してあげると言った様な助け方もありますよね。手を貸してあげる。いよいよ、困っておられる時に、手を貸してあげる。まぁ、そういう所から、手を貸さずに助ける。私は、信心で言う、人を助けると言うのは、そういうことだと思うですね。なるほど、信心をしておりますから、やはり、心の中に、何時も、神心が動く。いうなら、親切心が動く。だから、もちろん、その手を貸してあげると言う様な親切によって、人を助けると。例えて、まぁ古賀さんのところの、焼け跡の整頓の、整頓というか整地ですかね。後片付けの御用に、皆さんがいかれる。昨日も、青年会の方達が、みんなおかげを頂きました。これなどは、手を貸してあげる訳です。向こうからも、まぁおかげで助かりましたとこう言うわけなんです。けれども、そういう助け方は、信心がなかっても、いわば、出来る訳です。信心によって、助かると言うことは、これは、自分自身が、一つ、信心のゆとりというか、信心の力というか。または、神様を信ずる力と言ったら良いです。神様の働きを信じておるなら、信じておるほど、私一人が手を貸すということも有難い。それもやっぱり、行の上に現わして行くということも信心。けれども、私、一人二人が、手を貸すぐらいな事よりか、神様のおかげを頂きなさらにゃならん。そこに神様を信ずるという所からなされる。そこで、ほんなら、お取次を頂いて、古賀さんのところの復興が、一日も早いようにと言うて、願うと言う助け方。これは、だからもう、一人二人、自分が手を貸すと言ったようなもんじゃないと思うですね。だから、お願をしてれば、もうお手伝いでんいかんでよかといったようなもんでは、決してないです。信心をしておればしておるほど、それもしなければおられない。または、神様におすがりをすることは、なお、しなければおられないというものなんです。
私は、皆さんに、何時も申しますように、ここでは、私が、より、助かる事によって、それだけ沢山の人が助かるんだということ。信者を助けたい、信者を助けたいと言うておっても、沢山の人をお引きよせくださいと言うておっても。私自身が力がない、助かっておらずして助かる筈はありませんものね。そらもちろん、金光大神のお取次によって、助かるのですけれども。金光大神の取次の働きをです、働きたらしめるのは、取次者です。だから、こちらのお広前に参ったから、こちらのお広前に参ったからと言うて、神様は同じだけれども、守り守りの力によって、おかげが違うと仰る。天地の親神様も金光様も、お取次は同じことなんです。けれどもその、守り守りの力によって、人が助かる助からんと言うことに、相違があるのですから、その守りの力。いわゆる、取次者自身の力と言うことは、どういう事かと言うと。私が、より助かると言うことなんです。だから、ここんところを、日々、私共は精進させて頂く。そこで、私共が、いよいよ助かると言うこと。私が、より力を受け、より助かる事さえ出来ればです。その助かった力の範囲を、天地の親神様はご承知ですから。難儀な、例えば氏子を、ここにお引き寄せを下さる。そこから、育て助けられるということになってくる。今日は、そういう意味で、私は、皆さん自身が助かる事だ。人を助けると言うことは。もっともっと助かることなんだ。形の上にも、または、心の上にも、もっともっと助かる事だと。心の光が、言うなら、形の上にもです、光が輝いてくるような、言うなら、後光が差す様な助かり方になることなんです。
昨日、御本部の永井勘四郎と言う先生が、学院の学官をなさっておられる、大変、大変お徳を受けられた。または、もう本当に、私は、ここの学院生が、あちらへ参ります時に、学院に参ります時に、親教会長、いわゆる、親として、教会長として、この学院生に、どういう所に力を入れて育てて下さいと言う、そのお願を書かねばならん欄があるんです。それに、私は、何時も、ここに居る間は知らないんです。ほんなら、学院長なら学院長ですら、私は知らないんです。でも、永井勘四郎と言う先生は、私は、昔、善導寺の教会で、お話を聞いた事があります。そして、あの方が書かれたもの、話されたものを聞いたり、読んだりして。はぁ、この先生は、本当な先生だと、間違いのない先生だと、私は、段々、信ずるようになりました。その先生が、学官になられましたから、以来、私は、永井勘四郎お先生の信心を見習って来いというふうな意味の事を書いてあるんです。ほんなら、向こうは、私を知っておられる筈はありません。ただ、私の、いわば、お話したものを、おかげの泉とか、和賀心時代なんかの本を通して、ご承知の方なんですが。その先生から、手紙が来てるんです。そこんところの一節。いよいよ、ご自身がね、本当に、信心は前向きだと言われるが、ご自身が、いよいよ助からなければならない。助かりもせんどいて、学院生に、幾ら取り立てて、学院生は助かる筈はない。まずは、学官、私自身が助からなければという意味の事を、こう言うふうに表現しておられますですね。何時かのかげの泉に、あの勧進帳の六代目の演技の事について話した事がある。そこを取ってあるですね。「勧進帳の六代目、義経の事、深く反省させられました。後姿を見られただけで、道の教えにならせて頂くよう、命懸けで精進朝えて頂きたいと思います。至らぬものでございますが、今後とも、いよいよ、御教導下さいますよう、ひとえにお願い申しあげます」と言う意味の事が書いてある。勧進帳の六代目の義経。それから先代の松本幸四郎の弁慶。それから、先代の市村右左衛門の戸梶。もうこれはもう、極め付けであると同時に、後にも先にも、こういう勧進帳は、見ることは出来ないと言われるほどしの名場面だったということですね。幸四郎の弁慶、右左衛門の戸梶、六代目菊五郎の義経。もう、それもこれも、それこそ、非難のうつところはなかったが、とりわけ、義経のしどころと言うのは、非常に少ない訳ですね。けれども、その、山伏問答を、弁慶と戸梶がやっておる時に、自分の身を隠すようにしてです。隅の方で、後姿を観客の方には見せながら、かがんでおる場面があります。その時にですね。いわゆる、かがんでおるはずの義経の後ろ姿にです。その演技が、ありありと見えたと言われるのです。どのくらい、義経が冷や冷やしておるかという事ですね。ここの、安宅の関を、もし通り抜けられなかったら、どうなるかと言う、その心配をね。背中一つで、見せておったというお話が、ある、おかげの泉に載っておった所を見られた。偉い先生は違うなと思いました。見どころが違う。そして、前の方から見せるのではない、後姿を見せてもです。学院生が着いてくるような、いわば、学官になりたい、先生になりたい。この事に、命懸けで精進したいち言うておられます。もう助かると言う、あれほどしの徳を受けられた、あれほど有名な偉い先生。一、いうならば、田舎の田園教会の教会長の話したことを、そういうふうに、言うなら、負うた子に教えられるという様なところでしょうか。ここんところに、いや、肝に銘じて、ここんところを頂いて行きたいと。言うならば、黙って治める、黙っておっても治まっていけれるような先生になりたい。黙っておっても、人が着いえ来る。これは、本当の助かりなんです。
私が言う、私が助かりさえすれば、ここで人が助かると言うのです。だから、これは、手を貸してあげて助けるのではなくてです。手を貸さずに助けると言う。これが、本当の、私は、人を助けると言うことだと思います。まず、わが身におかげを受けてという所を、今日は、そういう、いわば、高度な時点でです。まず、私がおかげば頂いて、そして、私が貧乏してるなら、私が金持ちになって、そして、人に話してあげようと。自分が、病気しておる病気が治ったら、一つ、同病相哀れむで、病人の人達に話してあげるという様な意味のところもありますよ、ここの御教えの中には。けども、もっともっと、その時点の、いわゆる、次元の違った助かりとでも申しましょうか。自分自身が、真実、これは、心の助かりなんです。心に頂く力なんです。その力が、光がです。手を貸さなくっても、それを見ただけでも助かって行くという。私が、まず助かりさえすれば、人が助かるというのは、そういう意味なんです。何時も申しますのは。そういう助かりを願い、助かりを求めてのです信心。だから、一生、私は、ここんところを、それこそ、永井先生じゃないですけれども。命懸けで精進して行かなければいかないという事が分かります。だから、百の力、百の助かりがあれば、百の者が助かるんだという事です。だんまりの中にです、人が着いてくる。いうなら、人が助かるという事にもなります。
そこでです、ほんなら、そういう後姿だけででも、人が助かるといった様な信心とは、ほんなら、どういう信心であろうか。いよいよ、自分自身が助かるということは、どういう事なのだろう。もちろん、答えはね、自分の心の中にある喜びとか、または、安心とか、という訳でございます。けれども、ほんなら、その安心が、その喜びが、どういう信心をさせて頂いたら、頂けるかということになるのです。どうぞ、私に、安心のおかげを下さい、私に、もっともっと、喜びのおかげを下さいと言うただけではね、そんな喜びやら、安心やらと言うものは、そういう助かりが与えられる筈はありません。そこでです、そういう助かりを、私共は、一生がかりで、これを極めて行こうとする、まぁ他にも手はありましょうけれども、今日はこんな話を聞いて頂きたいと思うんです。
昨日、四時の御祈念をさせて頂いておりました。何名かの人が、一緒に御祈念をしておった。一緒に。私は、ある事をお願いさせて貰いよりましたら、果物の、いわゆるイチゴですね。イチゴが、なり口が、ちょっと色が変わって、腐りかかっておる所を頂いた。イチゴが。どういう事だろうかと思った。そしたら、御理解に、イチゴとは一期に通ずる事。一期とは、一期と書いてあります。これは、仏教の言葉でしょうけれども。あの一期の願いと申しましょう。私が、一生一代の願いだからという様な時に使います言葉です。一期の願い。私共がね、一期の願い、一生の願い。そのイチゴがです、例えば、こう腐れかかっておる。その、いうならば、腐れかかったイチゴに熱をかければジャムになると言うことを頂きました。そのイチゴが、もうこれは、いうならば、まちっと腐ったらしようがない。もう掃き溜めにども、持って行くより仕方がないのだけれども。それに熱をかける、火をかけるとです。それが、ジャムになると言うこと。パンに付ける、あのジャムです。ジャムと言うものは、これは、何時まで置いても悪くならないものです。イチゴであったら、腐ってしまいますけど、そのままだったら。けれども、ジャムにしたら、何時いつまでも腐らない。言うならば、あの世にも持って行け、この世にも残しておけると言うほどしの徳になる。そこで、私共がです。より助かりたいと言うことは、どういう事かと言うとね。私共が、いわゆる、一期の願いとして、昨日の御理解を言うならば、生神金光大神を目指しての信心でなからなければなりませんがです。ほんなら、そういう生神を目指すという信心の内容とは、どういう事だ。生神金光大神は、どういう信心をなさったか。何時でも、どんな場合であっても、これで済んだとは思わないと言うのが、金光大神の信心なのです。どんなに、人からも、生神様と言われるようになられてもです。何時、神様から、お暇が出るやら分からんと言う様な、お心の状態です。魅惑の百姓と、ご自分で仰っておられるようにです。自分の様な者がと言う自覚です。
私は、大宗教家と言われる方達は、みんな、そういう生き方、信心を身につけられて、いよいよ、高度な信心を得られたんだと思います。例えば、親鸞上人に於いてしかり。いや、言うなら、お釈迦様だって、キリスト様だってです。自分自身と言うものを見極めるという所なんです。そこからです、これでは自分が助からん。これでは相すまんと言う、それが、いよいよ、より助かる事になってきた訳です。そこから、いわゆる、こういう自分では助からんという見極めがです。いよいよ、言うなら、自分の心の腐りを発見する訳です。自分の心の汚さを発見する訳です。そこにです、いよいよ、熱をかける。信心のない者は、もう自分の様なものはつまらんと言って、それだけでしょうが。ところが、宗教の有難いという所は、自分が、いよいよ、つまらんという事が分かれば分かるほど、自分という者が、いよいよ、深められるということになりますから。そこに、いよいよ、助からなければおられない、また、助けて貰わなければおられないという、一心のすがりがある訳です。そこから、いよいよ、より清らかに、または、より改まろうとする精進がなされる訳です。しかもこれは、一生がかりなんです。こら、大宗教家という事が、私共の一人一人の信心に於いてもそうです。宗教の素晴らしいということはです、宗教の有難いことは、自分自身が分かる。これではならじと、そこから一段と、また、信心を進めて行こう、より改まって行こう、より研いて行こうとする心が生まれるところにです。もう、光は、輝く上にも輝いてくる事になるのです。いわゆる、私だって同じです。私の、いわば、信心を、皆さんが見ておって下さって。または、私の、日々の信心を、皆さんが、聞いておって下さってです。私が、より助からなければならない。永井勘四郎先生じゃないけれども。それこそ、命懸けで、より助からなければならないという事に、精進しておるということはです。私の様な汚い人間がです。もう、ほっておいたら、もう、掃き溜め行きだろう。
昨日、どなただったでしょうかね。もし私が、親先生にご縁を頂いていなかったら、今頃は、もうこの世におらなかったでしょうということを言っておられましたがです。ほんなら、私に信心がなかったら、とうの昔に、この世に居なかったかも知れん。おったところで、もうそれこそ、いよいよ、最低の人間になっておったに違いはないけれども。信心をさせて頂く事によって、今でも、最低だと思ってますけれど。その最低の私だからこそ、助からなければならないという意欲が、誰よりも強い訳なんです。もうそのまま火葬場行きせんならん。そのまま掃き溜め行きにならなければならない私が、それを拾いあげておいて、それに熱をかける。ジャムにして行く術を心得させて頂くという所からです。それが、力ともなり、徳ともなり、そういう徳が、段々、強くなれば強くなるほど、人もまた助かるんだと、私は確信しておる。私が、助かってさえ行けばです、前から見ても、後ろから見てもです。いうなら、親先生の信心についておるという事によってです。みんなの助かりが、百人よりも千人という事に、いわば、なる訳ではないでしょうか。
私は、今日はね、そういう、言うなら、次元の高い助かり。まず、わが身におかげを受けて、まずわが身が助かって、そして後に、人を助けてやれというのは、もう手を貸したり、下したりして助かるのじゃない。自分自身が、ただ、高められて行きさえすれば、助かってさえ行けばです。これを一期の願いとしてです、私共が、生神金光大神を目指しての信心にならせて行くところにです。その周囲には、沢山の人が、手を貸さずして助かって行くことになる。その光に潤うてくることになるのです。そういう助かり。
最後に、にわかに先生にはなれぬぞと仰せられますがです。もう皆さん、一人一人がね、いうならば、もう先生になったつもりで、今日のお話を聞いて頂きたい。皆さんの、一人一人が取次者。ほんなら、取次助けてやろうというのじゃなくてです。自分自身が、取次助けられるという事によってです。私が助かりゃ家内が助かる。家内が助かりゃ子供達も、隣近所も助かって行くという様なね、助かり。そういう、私は、おかげを、いよいよ、目指して行かなければならない。しかもそれは、一生がかりで、しかも、その事には、命懸けでということは、大変難しい様ですけれども。永井勘四郎先生なんかの、このお手紙ならお手紙を読んでおりますとです。命懸けで、今まで分からなかったが、分かった事を精進して行こうとこう、その意欲はもう実に、心が躍る様なね、楽しさというものを感じますね。より助かったら、どういうことになるだろう。その助かりが、有難いのであり、楽しいのであるという様な信心を、一段一段、進めて行きたいと思いますね。どうぞ。